220804

 

もう社会がまともじゃないって完全にわかったから妙に安心している これがみんなが言ってた期待するなということなのか

 

先週末はなんかとても雰囲気が良かった。

 

土井に教えてもらったヘッセの『郷愁』読み終わって今は加賀田がくれた『わが街』読んでる、私の読書ペース遅すぎる ヘッセはデミアンと郷愁だけ読んだけど本当に文章を書く才能がありすぎる 自意識のめんどくささが全部書いてある ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』もたまに読んでる ケリー・ライカート、シャンタル・アケルマン、パクヘジンとaespa全部繋がってる 私にとっての映画は短編小説と似てる  表題の話、床に灰皿置いてタバコ吸いながらパズルのピース探すシーン 良かった

 

『私を愛さないXに』2022

ドヨンが出てるから見た。自分を好きになって欲しい人とそのシチュエーションを詞で書くと実現するノートをめぐった恋愛版デスノートみたいな話。登場人物たちがみんな理性的で賢いので、『彼氏彼女の事情』みたいな雰囲気が漂ってた

韓国ドラマは社会で生きる人の日常的な残酷さをしっかり描いてくれるので見てると心が晴れる。ヒスに片想いしてる先輩が、廊下に立つヒスをヒスと気づかなかった時に「人の部室の前で何やってんだよ死ね」みたいなこと言いながら大きい音立ててドア閉めるところとか 音楽に熱心で優しいサークルの先輩、って感じの人を描くときにわざわざこんなシーン入れるところに救われる気持ちがある 花火の下で告白するようなロマンチストで言葉に棘がなく思いやりがあり優しいような人にもそういう一面はある。あるから何とかじゃなくてただある。

ヒスとシホとセジンのそれぞれが持つ地獄が長々とは語られない中にも重く感じられてしっかり描いてあるのが良かった。

ヒスが幼い頃病院で盗み聞いた会話で「ヒスがいなければ…(よかったのに)」とお父さんが言っていたとずっと勘違いしていたのが、本当は「ヒスがいなければ…とっくに死んでたよ」って言ってたとわかるところしっかり泣けた。結論を後に言う言語を使って生きる親子ならではの(?)すれ違いを的確に表現してると思った。

セジンがノートに呪われている時、ヒスと過ごした時間の全てがシホに近づくための戦略的な時間だったにも関わらず、ヒスのことを心配している気持ちを見せてたところが良かった。極限状態だからこそ、その心配が心からのものだとわかるのも良かった。"動悸が不純だったから初めから終わりまで全てウソだった友情"なんてありえない 人と人が一緒に笑って過ごした時間のことは本人たちにすら否定できないから。

ノートに呪われてる時のセジンの演出が、さすがホラー得意な国って感じで怖くて良かった。顔色を悪くするメイクがリアルで上手でステキだった。クマと緑の顔、ボサボサの髪の毛 幻覚のCGもなかなかグロくて最悪で良かった

設定が陳腐ということが作品を駄作にさせることはないので、設定がありきたりとかで何かをディスる人は省エネしながら本質をごまかしているだけの最悪な人だということがわかった

 

トップガン マーヴェリック』2022 ジョセフ・コシンスキー

自分の画面の大きさとアスペクト比を知ってる映画を見るのはシンプルな喜び みんながトム・クルーズを好いているから迷わず一つになって作れたという感じの映画 トップガンのメンバーたちのキャラクターがみんな2022年風で良かった。「親は子供を信じるのがベスト」という教訓をベッドの上で恋人に聞いたマーヴェリックがそれを実行してなんか全部いい感じになる話 

『テネット』の「お父さんのことを許さなくても絶対に良い」ってメッセージとこの映画の「親は子供を信じるのがベスト」というメッセージはひねくれ方に大きな差があるだけで全く同じで、これを感じるとなんか泣けてしまう わからないものをわからないままで信じる力の話だからだと思う もっとも身近にある親子という人間関係の中ですらも、全く理解できないことは当然いくらでもある 今回は疑似親子の話だったけど そのおかげでもっと現代的な人と人との繋がりに話が及んでいる結果になっている気がする←適当すぎるだろ

 

『ここは居心地がいいけど、もう行く』2022 ロロ @吉祥寺シアター

ロロはいつ高しか見たことないので初めて長編を見た!これもいつ高のスピンオフ?みたいな話だった 終わった後涙止まらなかった。"目にうつる全てのことはメッセージ"って歌詞、いつも何なんだろうって思ってたんだけど この歌詞に対する最大限の肯定的な見解が最後のシーンで舞台に現出していて感動した "メッセージ"の捉え方が問題になるかと思うけど、そこがちゃんと見えた 舞台の上で繋いできた会話の延長線上にしっかりそれがあった

1人にだけ向けたラジオの、人知れぬリスナー 誰かがしたことが全然知らないうちに誰かを救うこと 1人かもしれないと思った誰かを1人じゃないと思わせてくれたもの フォロー/フォロワー外のつながりのこと なども そういう力信じていきたいね←なに?このテンション

過去のことを思い出とは呼ばずにじゃあなんて呼んでみようかみたいな、過去のオルタナティブな捉え方に挑戦してるのも感じた 私は思い出が嫌いだから嬉しかった 過去現在未来は右に伸びた矢印みたいに思えてるけど 全然そんなことないでいてほしいから いてほしいっていうか多分元々そんなんじゃないから

 

『俺は善人だ』ジョン・フォード 1935

フォードが撮ったスクリューボールコメディ 最初の遅刻騒動からベタなギャグがしっかり面白くて楽しすぎる ジーン・アーサーの登場シーンも最高 社長室でベロベロになるところとかも良い エドワード・G・ロビンソンがもう1人部屋にいるカットかなりビックリした『寝ても覚めても』の西島秀俊2人いるところ思い出した 後半にいくにつれてフォード感強まってきてのんびり感すごくて草だった 銀行のシーンずっと楽しい 上海行きでカートに乗せられてる猫の可愛さが異常 ハッピーエンドだし退屈とは無縁だし、完璧な映画 お酒飲みながら友達と見たら本当に幸せだろう

 

『静かなる男』ジョン・フォード 1952

カラーのフォード大好き これもずっと楽しい映画 持参金にこだわるヒューとそんなもの必要ないって言い張るショーンの喧嘩 喧嘩の末にヒューが電車でどこか逃げようとするのをショーンが引きずり下ろして、駅から村までの5マイル=約8キロを腕を掴んでヒューが転んでも靴が脱げても全く気にせず引きずって連れて行きお兄ちゃんのところまで行って金返せって言ってから始まるお祭りみたいな殴り合いの喧嘩 最後に投げつけられたお金を2人は拾ってすぐそこにある焼却炉に入れて燃やす その一連の流れが全部大島弓子の漫画みたいだった

あの大喧嘩を見ても"男は拳で分り合うもの"みたいな意味付けが全く通用しないように思えるのは、フォードの映画の中では男であることも女であることもすべてがただの設定なのであり、仮にその設定が"女は拳で分り合うもの"だったとしても何の違和感もなく映画が成立するという感じがするから ショーンがヒューを引きずりまくってるシーンもヒドいことしてるはずなのに暴力的だと感じないのは、最初に殴ったのがヒューだったからというのもあるし、損得や権力勾配という現実世界の暴力には絶対に関係するものが全部ないからで、それを可能にしてるのはやっぱり男女ってものやさらには「人は殴ってはいけない」って常識自体が設定になっているから 全部を設定にすることで映画の中の個々人の生が生き生きと輝いている 

説明できなかった 今回の特集頑張って見れるだけみようと思います