20220120

 

体調悪いと体調の悪さに集中できるので精神が統一されて良いなといつも思う 無駄なこと考えないで済むし体が落ち着く

 

『クライ・マッチョ』2021 クリント・イーストウッド

映画開始即クビになるも、息子も盗むための車もすぐ見つかるし、都合よく優しくしてくれる人が現れて、大した困難もなく目的は達成され、さらには恋に落ちる それで良いのだとしか言いようがない

何気ない感じで連なっていくショットが生み出す立体感が物凄い。そのスピード感は、この映画の変なタイトルの意味が知らされる瞬間に一言では言い表せない感慨が生まれる感じとどこか似ている。タイトルの意味が序盤でふいに回収される時の笑える感じ、癒される感じ、泣ける感じ、嬉しさが一気にくる感じ、色々混ざった感慨が胸に広がって楽しげな感じ。

懐古的な感覚は一切なくて、今この時代に生きているという感覚に基づいて作られている。その感覚の確かさのあっけらかんとした感じがあまりにも眩しく頼もしく格好良いので、途中から涙が止まらなかった。

とにかく見ながらずっとワクワクできた。「次は何が起こるのかな!?」とかそういうハラハラドキドキとは全然別で、純粋に映画の中の時間をいまの自分が生きてるという感覚の楽しさ、映画が続いていく嬉しさ、そういう手放しのワクワクをくれる素敵な映画を撮れる人が、あと10年とか15年とかしたら死んでしまうのかと思うと、本当に悲しくて、悲し過ぎて、それもあって涙が止まらなかった。

男らしさとか老いとかへの考察はとても的確で、やはり人生における何もかもは0と1に分類できるような性質のものなのではなく、押し並べて全てがたしかな1なんだということがわかる。つまり男らしさが絶対に悪いわけでも良いわけでもない、老いて過去の栄光に縋ることが絶対に悪いわけでも良いわけでもないということ。当たり前のことだけど日常の中でこのアイディアを実感として確かめる瞬間というのはほぼない。いつも誰かが何かを0にしたがったり1にしたり、そういうのは全部全部完全に意味がないことだ

誰が見てもただただおもしろい鶏の顔のアップとかもあるし素敵な映画作家とはつまり素敵なコメディ映画作家なんだということがよくわかった

『ドライブ・マイ・カー』の不器用さには建前に異常なほどがんじがらめにされながら生きている日本社会で生きる人っぽさが詰めこまれていて見覚えがあり過ぎて見ていられないので同じ不器用なら『クライ・マッチョ』のほうに憧れるのは自然な感覚か

 

ドライヤーは『裁かるるジャンヌ』と『ゲアトルーズ』見れたけど『怒りの日』見れなかった。どこかでまたやってほしい涙

両方良かった イメージフォーラムは暑すぎて死ぬかと思った しみじみ残るのはゲアトルーズのほうで、ジャンヌはとにかくすごかった。久しぶりに幽体離脱した。後半20分くらい、映画が凄すぎてこれも涙止まらなかった。これは『めし』見ながら泣いたのと同じ涙でクライ・マッチョとかワンス〜ハリウッド見てる時の涙とは違う。感情とかではなく画面が尊すぎて涙するしかない感じ。ただただ感動していること。『裁かるるジャンヌ』、一生私たちの味方である映画。いつでも一緒に生きていく映画。

 

やっとこの資本主義社会のシステムがなんとなくわかったのが去年なので今年が社会人一年目みたいな気持ちだ 人生が基本的に余暇ということも判明してしまった うららかなことだわ 助けが必要な人を助けられる人間にいつかなりたいと思う

 

BTSたち元気かな 1ヶ月休んでるくらいで幻みたいに思えてきた、異常だ 友達でも家族でも恋人でもないけど本当に近くに感じていたものだ なんて幸せな時間だったのか…