260305

もう3月になった。BTSが帰って来つつある。アルバムタイトルは『ARIRANG』、アルバムのタイトル曲は『SWIM』だということが昨日分かった。芸能人としてアイドルとしてアーティストとして生きていくことを、"走る"から"泳ぐ"に例え変えることにどんな意味を持たせているのか気になる。やめたら溺れてしんでしまうというところが主な違いになるんだろうか。RMは全ての曲の制作に参加している。フーリガンというタイトルの曲がある。生きててくれるだけでいいと思うのに、良いものを期待してしまう矛盾が辛い気がしてくるだけな気がしてくる。BTSたちはミンヒジンとNZとパンシヒョクについてなにも自分の口から話せないことに苛立ちを感じてるように見える。会社に人質に取られてるようにしか見えなくて切ない。今回の契約は何年なんだろう。

ハリースタイルズが私と同じ感じで村上春樹に救われてた話をしてたので、英訳しても良さって失われないんだと思ってかなり驚いた。 

昼暖かい(少し暑い)のに夜結構寒い。昼間ソル・ルウィットの展示を見に行った。厳格さ芸の人だった。ストローブ=ユイレ以来の。執拗なまでの厳格さには何故かすごく癒される。どの作品も特にサイズが厳格すぎてありがたかった。厳格すぎるとありがたいし笑えるし癒される。これってどんなコメディよりも幸せを生んでいる可能性もあるのではないかとか思った。私がそういうタイプなだけなのか、それとも皆んなに共通のことなのか気になる。

三島にあるベルナール・ビュッフェ美術館も行った。パリの画家!のイメージそのもの。美形すぎて驚いた。黒って良いなと思えた。黒い服を着る時ビュッフェの黒をイメージすると肯定的なイメージで着られるようになった。黒が好きじゃないのかと言われると難しいけど、大手を振って心底大好き!といえる色ではないような気がする、自分にとって。でもビュッフェの黒はとても良い。生きていく感じの黒。

『嵐が丘』エメラルド・フェネル 見た。パンクだと思った。そして前作同様キャシーが最後に死ぬ映画だった。日比谷TOHOのスクリーン1で見たらかなり良かった。日比谷TOHOが今一番好きな映画館だと思う...スクリーン1か12

この映画でヒースクリフは、女性が欲しい言葉だけを言う機械?人形?モノに成り果てている。人間性は奪われている。ナウシカがおじさんの胸に飛び込んで泣く描写を見た時と同じ気持ち悪さを、これを見た男性が感じることがあると思うんだけど、どうなんだろう? 女の子(とあえて言っていい気がする)が望む、人間らしさを全て度外視したエロい男として、ジェイコブ・エロルディーがずっとセリフを言っている。女をモノとして撮ってきた映画は、この世に無数に存在している。それは当たり前すぎて、誰も突っ込まないレベルで浸透していることでもある。女の身体をモノとして映すことがアートなことみたいに思われていた時もある。いうまでもなく映画業界では男性が中心となって映画を撮って、映画を評価してきたからそういうことが起きたんだと思う。『嵐が丘』では逆に、男がモノとして撮られている。そういう歴史たちの上に立ち、張り切って人形役をやってくれるジェイコブ・エロルディーのかっこよさに胸を打たれた。それがなくともカッコよかったけど...

"やられたらやりかえす"の正当性は誰に計れるのか、裁けるのか、どちらにせよ痛みの連鎖を食い止めない時点で褒められた行動ではないと思ったりするけど、シンプルにMale Gazeに対抗するFemale Gazeの映画だってことを私はいってるだけなのかもしれないけどとにかく女性が人ではなくモノとして撮られてきたことへのアンチテーゼの映画であり、その行儀の悪さを完全に支持する。一旦ひっくり返してみるという行動じたいに意味がある。そういう実践 アクション 大金がはたかれるのにふさわしいと思う。前作も"やられたらやりかえす"についての映画だったなと思う。なかったことにするくらいならばやりかえすほうがマシだということだと思ったりする。映画の歴史もなかったことにしたらやりかえせないし。やりかえすことは、むしろ見てきたということの証左でもある。

エロ=女性の上半身や下着の露出やセックスなど あり!爆発!が(ヘテロ)男性向け"バカ映画"だとしたら、エロ=自分にだけ優しい高身長荒くれ者男性の甘い言葉やセックスなど あり!ゴージャスなお屋敷とドレス!が(ヘテロ)女性向け"バカ映画"として作られても良いのではないかという発想。センスがいいとか悪いとかではなく、そういう存在として支持している。そういうのもあってもいいではないかと言ってる人を支持してる。そういう見方でポップコーン食べながら笑いながら見た。というか日々女性の身体が強調されたもはや人間なのかもわからないような気持ち悪い絵を街中や公共交通機関の中で見せつけられて本当にバカにされた惨めな気持ちになっているんだからこういう機会もないとやっていられないとも思う。関係ない可能性も高いけど、ラップの歌詞の下品な表現とかも、こんなふうに笑える娯楽として機能しているのかなと思ったりした。それがなんとなく初めてわかった気もしてみた。全然違うのかもしれないが

原作好きな人が怒っていたりするのを見たけど明らか下心全開の二次創作みたいなクオリティだし、それをそもそも狙って作られていると思った。これは純愛と呼べないと思う。相手が不在だから。全編を通して、この映画に映る"恋愛"とされるものは、本当に無責任で、身体は介在してるふうだけど実際はただの妄想でしかない。実感がない。痛みがない。キスシーンやセックスシーンがやけにぼんやりしていてヒースクリフの顔のショットだけが整った照明の中でくっきり映し出されるのはそういう意味だと思った。

ただ本当に本当に勝手な感想だがエミリー・ブロンテが生きていてこれを見たら普通に笑うんじゃないかなとか思った

映画としての良さは上記を抜きにすると本当にほとんどない!!『センチメンタル・バリュー』にも同じくらいなかった!!花瓶が割れなかったところだけは、よかった。どちらも良い画はたまにある気がするのに、感動するような繋ぎも動きもなぜかない! 越えられない壁>>>>ケリー・ライカートって感じ ジェームズグレイもすごい!!次点でジェームズマンゴールドとショーンベイカー

ヨアキム・トリアーはやさしさこそが今の時代のパンクと言ってるみたいだけど、それも一理あり、だが女性にはもっとやれるパンクが色々ある時代

1801年とかいう今から考えたら想像もできないくらい野蛮であったであろう時代に今になって思いを馳せる気持ちもなんとなくわかると思った。世界が野蛮さに退行していくかのように見える時に、結局そこから成長なんか誰もしてなかったんじゃないかと思う時に、改めて思いを馳せたくなる気持ち

原作がいままだ112ページで、どういう話なのかわかっていないけど映画見た後の方が読むのが面白いのでよかった。読み終わったら『自分ひとりの部屋』も読みたいな そしてウィリアムワイラー版も見る リヴェットもブニュエルも見たいけど見る方法がない...

 

 

251220

 

京都に旅行に行ったのに途中でインフルエンザになって帰ってきて悲しかった。友達も、友達の友達も優しくて本当にありがたかった。

京都何度か行ってるけど今回が一番良さが沁みた。都市計画が良い。鴨川がほんとに凄い。夜、鴨川で鹿をたくさんみた。お寺の数とそれぞれのクオリティがすごい。東京と全然違う。格の違い。電車もバスも可愛い。公共のもののデザインが良い。全てのチェーン店に看板の色を変えさせる傲慢さも良い。街中に緑が多い。街のどこにいても山が見えるところがソウルと同じで良い。

美味しい食べ物へのアクセスしづらさは東京より少ないか、同じくらいかなと思った。知らない食べ物がたくさんあるのは面白い。

言葉を字面通りにしか受け取れないところが年々強まっている気がする。自覚が少しできるようになっただけかもしれないけど。「(同じことだけど)言い方の問題だね」と言われた時に、言い方が変わったら内容も変わるじゃんと思ってしまう。そういうことを言う時、相手はきっと、同じことを同じような言葉で言い換えられてちょっと不快なんだろうなと最近わかるようになったけど、私には言い方の問題がより大きく感じられてしまう。あとは、皮肉が難しい。本当に最低限なレベルのものしか気付けない。多分皮肉を言われても9割以上に気付いてない。だから人生で皮肉を言われたことがほぼない。すぐ話を信じるねってたまに言われるけど、それも言葉をそのまま受け取る以外の方法がわからないからだと思う。そもそも嘘の話をする面白さが全然理解できてない。言葉を字面通り以外で受け取ることが望まれてる気がする時に一番体が固まってしまう。心の底からどうしたらいいかわからない。気配だけ感じるけどそこからどう動けばいいのかわからない時がほんとにやばい。何も面白くない。ただただ辛い。察しが必要なコミュニケーションは一生できないと思う。言葉で言われないと何もわからない。ちいかわの〇〇ってコト?ってやつ本当に共感する。〇〇ってことかどうかを確認できないと前に進めない。だから日本語向いてないと思うのかな。他がどうだか知らないけど

だから京都で暮らすのは難しそうと思った。多分今回の旅行の居酒屋でも皮肉か何か、わかんないけど肌感として数回かだけど言われてた感じがしたけど、具体的に何なのか全然わからなかった。肌感だけあるの怖い。ただの感覚間違いだったらいいけど。パリ人と京都人って似てるのかな。『エミリー、パリへ行く』の1話で見たパリの人の感じとちょっと似てる気がした。1話しか見てない。

言い換えても同じことを表現できると思いたくないのは、すべてのものの固有性を信じてるからだと思う。だから人間に対して上位互換とか言う言葉を使う人を軽蔑するし、言われた時は殺意が芽生えた

嫌なことがあった時に自分ノリで考えると自分が悪かったのかなとか自分が人間的に良くないのかなとか考えてしまうけど一回心の中に韓国(ドルオタ)オンニツイッターの人格を召喚してみると相手が普通に悪かったと思えて自責とのバランス調整が可能

授業で先生から共感する力は人よりあるけど共感させる力がないと言われて、考えてみたら、確かにそうだなと思った。自分が良いと思ったものを人に伝える力がないし、伝えたいという気持ちを持ってない。そして感動ポイントが人とズレてることが多い。(そこじゃなくないって思われてる体感がよくある そこじゃないと思うのはただお前の意見か、もしくは一般的な考えに過ぎないだろって思うけど数でも説得力でも勝てないから何も言わない/言えないことが多い)ということのデメリットが結構感じられた一年だったような気がする。そもそも何に対してもあんまり真剣に感動できてないからデメリットだけが目立ってるっぽい。共感してもらえた時は嬉しいから、単純に説明する力がないだけなのかもしれない。

今年はたくさん好きなものを見つけるとかやったことないことやるとか思ってたけど全然できなかった。"情熱"をスローガンにしてたのに情熱もなかった。全部来年に繰り越す そこに"陽気"も足す 全部新しいスタイルで取り返す

 

 

251209

 

年の瀬⭐︎

今年の半分ずっと休んでるけど、先月くらいから休み切った感覚になった。良い時間を過ごした。夜の大通りを見て車のライトが綺麗だなと思える時は元気、音楽を聴いて耳が痛く感じる時は元気がない。音楽は聴かなさすぎて聴き方よくわからなくなった。私が音楽に何を求めるかよくわからない。また週5日働くってイメージしづらくなってるまであるのが少々不安だけど大丈夫と思うしかない、週5の8時間勤務はできるだけ早いうちに辞めたい

Iとか나をつかいたいな 私って言葉が好きじゃない

『ダイナマイト・キス』Netflixでみてる 今週と来週の木金に1話ずつ公開されてクリスマスに完結する韓国ドラマ。ラブコメ演出にそれはないだろ!とか言いつつ楽しめるのは、ドラマの中で前提になっている価値観とか社会の様相の捉え方に疑問を持たずに済むからであって、それって簡単なことじゃないなと思う。笑うことって気を許してないとできないから、制作者への信頼が生まれてないと難しい。恋愛が絡むとなお難しいという気がする。ドラマの中でのセリフの捉え方が自分とシンクロしていなかったりしたらそこが引っかかって前に進めなくなる。

先週見た『マリー・アントワネット』のミュージカルもそうだったように、女性同士の連帯を絶対に強調してくれるので安心して見られる有難い。『マリー・アントワネット』ではマリーアントワネットとマルグリットアルノーという架空のキャラクターが実は姉妹だったという新たな追加設定により、富豪と市民という階級差を超えた心の通い合いが描かれていたけど、アルノーのマリーに対する同情心の描写は良い加減で留められていて、良かったと思う。権力によって苦しめられていることは大前提で憎しみが覆ることはなく、でも少しだけ同情の心を持つという描き方の慎重なバランス配分を感じた。面白かったかは別の話だけど...『エリザベート』のほうが数倍面白かった。ドヨンは頑張っていたけどフェルゼンのキャラクターの裏の面がもう少し見えたら良かった。

今年美味しかったものをたまにはまとめておこうかなと思って開いたのに違う方向に行ってしまった

政治が終わってて新しい情報見かけるたびに嫌な気持ちになる毎日。既得権益を守ることばかりに時間とお金を使ってるようだけど、すでに中身はスカスカで、やってる当人たちは自分たちが死ぬまで持てば良いと思っているようだが、虚しい。既にいつからかCMやポスターなど街や動画サイトで見る広告クリエイティブは虚無さが極限まで達してる。上手く楽しく騙そうという技術がない。『国宝』の吉沢亮とかが絶賛されてしまうくらい俳優と演技のクオリティーも落ちている。その俳優を起用した広告の力も当然落ちている。頑張っても既得権益の壁が厚くてどうせセンスない剪定で切り捨てられて何もできないから、みんないなくなってしまったのではないか 才能を囲って"使う"ことしか考えない人たちが権力勾配の上に絶対にいるので、気力が失われたのではないか

韓国に行くのは最早、資本主義が街中でもう少し生気を持って機能してる様子を見に行きたいからかもしれなくて、ソウルでは広告クリエイティブは虚無になり切ってはいないし、コスメやエンタメが魅力あるパッケージを保っている 今読んでる『暇と退屈の倫理学』で紹介されていたラッセルの幸福論のように、いまの韓国の若い世代が新しい世界を作り出す運動ができる世代であったからたまたま熱意を持ってやれているだけで、そういうハイな状況じゃないとやり切れないシステムということかも そう考えるとやっぱデフォルトが週5で8時間なのは今すぐ辞めたほうがいい 熱意が生まれ得ないので、出来ない

BTSが2025下半期活動できなかった理由ってなんですか わかってる人がいたら教えて パンシヒョクの詐欺(疑惑)のせい?シュガが全く姿を現さないのもどうして 飲酒電子バイク運転くらいで謹慎?制作に専念...?RMはまた不眠症になってるらしい

自分の文章が自分の文章なのかわからなくなってきた 怖い どうにかしたい 他の人は文章書くとき常に同じ自分で書けているのかな?気になる

 

 

 

 

250924

 

なんかもう9月が終わりそうになっていて驚いた  秋6日目くらいか こんなに明確に秋があるのは久しぶりな気がする すぐ終わってしまうんだろうな 冬は嫌だな 夏も冬も嫌となると結構厳しいな 私にとっての魔の時間である11月に韓国行くことにしたのでそれでどうにか乗り越えたい

なんか目がおかしくてコンタクトすると上手く焦点合わなくてやばいので明日眼科に行く 目がちゃんと見えてないと文章読むのがものすごく大変になるな 

市民プールに行って泳いでみたら水が怖くて怖かった。泳ぐのは本当に下手。25メートル往復を10本も泳げず終わる。止まらず50メートル泳ぐとかもってのほかだった。クロールは特に全然できない。クロール実際これまで一度もできたことない。ずっと無理してただけで安定感があったことがない。今日は朝本当に久々に少しだけ走れて驚くほどすぐ疲れた。朝走るのも水泳もルーティーン化したいが・・・プールのウォーキングゾーンでおばさまたちが駄弁りながら何周も歩き続けていて良かった。飲み会よりあっちのほうが良いと思う。あれが流行れ。

みんなの仕事が17時に終わって食べて飲んだ日も21時に家に帰れれば良い生活になるのにな 8時間も働く必要ない10時-17時で良い全員

ドキュメンタリー映画を色々見てる。語りが明確に感じる人と、この人は思ってることを喋ってるのかなと感じる人の違いはなんだろう。字幕はニュアンスを拾わないから明確に感じるだけなのか。昭和の人の話し方あれなんなんだ。この70年とかでどうしてみんな喋り方変わったの。不思議すぎる。どんなドキュメンタリー映画が良いのか全くわからない。どうせ撮影して編集したらフィクションになってしまうのに初めから失敗する試みをするというのが不合理。戦場カメラマンが撮る写真みたいな。映像資料を超えるものがあるのか未知。これまで全く興味を持ったことがなかったから。本など少し読んでみたい。

ジェームズ・グレイアルマゲドン・タイム』2022 圧倒的だった。フレームの外に果てしない世界の広がりを感じさせてくれるもの。この奥行きが見たくて映画を見ている気がする。自分が生きてる場所も当然自分の目で見えてる景色の周りに世界は広がっていて、でもそれは絶対見ることはできない。映画だって同じようにカメラに映ってるものしか見えないはずなのに、それ以外の場所にまで風が吹いてることがわかる、その心強さ、心の広さ、器のでかさ、世界を広い意味で肯定すること

映画のテーマ自体が2022よりさらに2025に意味を持つようなもので、日々の自分が映画になってるようだった。それにまつわる色んな低次元のツッコミは全部分かった上でそういうものの意味がどれだけめちゃくちゃ薄いのか、自分の生きたことや経験がどれだけ広がりを持って大きなものなのか。それを堂々とスクリーンに映し出すことが映画にできる数ある魔法の一つだから、久々に映画見たなと思った。理想論とかで片付けることで失うものの大きさが画面になっていた。この残酷すぎるあまりにも不公平で暴力的な現実との対峙の仕方について。言葉で簡単に片付けてしまう場合すべてがただ浅くなるだけだと忘れるのがあまりにも簡単すぎる。

マンキウィッツ『幽霊と未亡人』1947 のラストシーンも盛大な魔法だった だいぶありえない!すごい!ありがとう!男尊女卑おじさん幽霊とのハッピーエンド許せないようで許せてしまう やっぱなんでも一枚岩ではないからな あれがハッピーエンドなのかも、定かではないし でもそんなこと関係ないんだよな、映画のハッピーエンドって 絵本作家か船長って今まで見た三角関係の中でも謎メンツで面白い

ヴェーラの特集行きたいけど渋谷ってあまりに遠いし嫌いな場所

こないだバスで席譲れた!断られたけど!断られた時ってゴリ押しするべきなのかな あっそうですかって言って座っちゃった 私が断った身だとしたら限りなくどっちでも良いからまあいいか

一人暮らしする前に心の底わからなくて気になっていた、"友達が遊びに来た時に片付けしないで帰ったらどんな気持ちになるのか?"については、マジで心底どっちでも良いけど、「なんかやれそうだった」とか「やりたかった」以外の動機でやってくれるのは結構嫌だ という結論になった 「やるのが常識だから」とかで動かれると嫌だ これめっちゃ人によりそうだな エゴってこゆこと?

 

ソウル旅行記

 

去年の秋の記録

3日目の途中で途絶えている。

この旅行のホンデで遊んで卓球したときが去年一番楽しかったときのような気がする。

 

1日目

えきねっとログイン失敗につき定額で成田エクスプレスに乗車。嫌すぎた。航空券の姓名を逆にしてたことに気づき焦った。チェックインカウンターのソンハンビンみたいな顔のお姉さんがアイドルスマイルで大丈夫ですよ~と言ってくれた。あの笑顔が心から離れない。

仁川についてすぐCUにはいったら店員が前回の1億倍優しかった。バナナウユを飽きるまで飲むと決めたから早速買った。高速バスのチケット発券してバスを待った。バス停付近には乗降者整理の仕事のおじさんたちがたくさんいて、こんな雇用見たことないなと思った。バスはマッサージチェアーみたいに豪華な椅子で最高だった。運転手が行先聞いてくれて、降りるバス停までくると運転席からうちらの座席まで歩いてきて教えてくれた。韓国のバス運転手頻繁に座席離れて立ち歩くの面白い。

ホテル着いて休んでタッカンマリの1番有名な店へ 行ったら割と人いたけど、15分くらいで入れた。美味しかった。鶏二郎。タレおいしい。グクスとネギ追加してネギうどん鍋になった。うどん麺も日本と全然違うもので美味しかった。ビールも飲んで超お腹いっぱいになっても1人1500円。もうだいぶ満足ってなった。歩いて広蔵市場とか過ぎて私が前みてびっくりした乙支路の通りまで行ったけどあんまり人いなかった。途中で韓国プリクラ撮った。不慣れすぎて微妙になった。旅行の間毎日撮ろうということにした。また歩いて、カフェ全然見つからなくてチェーンぽいところに入った。ヘーゼルナッツアイスアメリカーノ頼んだら甘すぎて脳が壊れそうになった。致死量の砂糖。一体何がしたいんだ。怖い。バス乗って帰宅。ビヨットと水買ってちゃんとシャワー浴びて就寝 Mnetはロトゥキンをずっと放送してた 大きい蚊が天井にいることに気づいて全員気が気じゃなくなり、ついに森が対処してくれた。本当にありがたかった。全然何もできなかった。申し訳なかった。

 

2日目

朝早め?に起きてスルギの写真展のためにホンデの駅からちょっと離れたギャラリーに向かう。バスをスムーズに乗りすごしてしまいUber初めて使った。運転手結構やさしくて安心。タクシーじゃないと辿り着けなさそうな住宅街にギャラリーはあった。外に若い男女が整列してて、ちゃんと同世代から支持されてるっていいなと思った。来場者もギャラリーで働いてる人たちもみんないい感じだった。スルギのような人が最前線アイドルとして活動してるということ自体尊いなと思うけどそれを好きな人もこんな感じで存在してるというのがとてもいいなと思った。みんな本当にスルギを好きそうだった。ステキな一軒家みたいなギャラリーで穏やかな雰囲気に名残惜しさ感じつつインタビュー動画まで見てポストカード買って終了。ホンデのセリサムギョプサルの店にまたUberで行った。大雨。セブンイレブンで傘買おうと思って行って、1700円と700円聞き間違えて高かった。何回買う傘交換しても怒らなかったセブンの店員はハグリッドから高貴さを全て消した韓国人版みたいな人で店内は全く整理整頓されてなくて散らかっていた。セリサムギョプサルはもうウェイティングが出てたのでアプリでしほが番号とってくれた。韓国プリクラまたとった。ちょっと上手くなった。ヘアアイロンと大きな鏡を使うために入店してる人がいて、めちゃくちゃいいなと思った。身だしなみ整える場所が街中にトイレの鏡しかないのはちょっと悲しい。しほが教えてくれたセレクトショップに行った。ニットの帽子を買えばよかった。セリサムギョプサルは結構苦かったけど爽やかで良かった。 肉を口に入れた後すぐに青唐辛子齧ると美味しい。セリチヂミが美味しかった。お腹いっぱい食べてビールも飲んでも1500円くらいだった気がした。雨の中歩いてブルーエレファント。サングラス店なのに店内が暗くて面白かった。ブックマークしてたコーヒー店が近くにあったので行った。韓国のカフェはださい個人作成雑誌みたいなのが中途半端な友情によって並べて置かれてるゾーンとか謎小物に埃かぶってるようなゾーンとかなくて、内装手抜きせずちゃんとカッコつけてくれてるから好き。そこまでやってても店員が全然気取ってないところが好き。服屋もカフェも。クリーム主体の謎スイーツ食べて最初ハテナでしかなかったけど、途中からちょっとだけ美味しくなった。この日、大雨なのにあんまり嫌だと思ってなかったのが思い返すと不思議 名前忘れたけどアイドルグッズ店がある大きいモールを目指して歩いて、初めて韓国で商業施設に入った。若者向けのゾーンしか存在してなかった...。トイレの横にウォーターサーバー+紙コップがあってそういうとこ好きと思った。出たら晴れてて歓喜 散歩。どこかに向かってた気がするが忘れた。途中でタンフル森が食べてて1つ貰った。マスカット。思ってた3倍美味しかった。もっと食べたかったのにこれきりとなった悲しい。ホンデ歩いて電車で安国行った。カバン屋さん。そのあと現代美術館近くのマンドゥ店に行ったけどあんまり美味しくなかった。というか蚊が気になりすぎて食事に集中できなかった。精神力が足りない。三清洞をもっと北上してみたい。あのあたりは雰囲気がよくて散歩してるだけで気分が良い。散歩してるだけこんな感じで気分がよくなる街が東京にはない。あの忌々しいゴジラみたいなコンクリート地面がない街。夕方?夜?花屋で女の人がお花を買ってて、店員のお婆さんと店先で話してた風景が心に残った。別れ際の挨拶が良かった気がする。ヨーグルト有名カフェに行き、あまりの観光客価格に怒りを表明。ヨーグルト1つ2000円くらいっていうのはあまりに適正でないと感じた。味は、普通に美味しかった。たくさん人いた。韓国の女の人が2人で喋ってる雰囲気好き。頭よさそう。タクシー呼べなくてバス帰宅。コンビニ行って帰宅。夜の記憶あんまない 疲れていた。

 

3日目

森は友達に会いに行って、しほと景福宮らへんに行った。可愛いお店色々あって、なんかゴチャついてなくていい感じだった。人が多くなければもっと良かった。ハンガンの息子がやってるという本屋を見に行ったら休みだった。同じ気持ちの野次馬が来ては帰っていってて面白かった。野次馬の中には仲良さそうな老夫婦もいてよかった。ユッケビビンバのファストフード店で辛いユッケビビンバ食べたら本当に辛かった。タクシーでリウム美術館へ。坂の上にあっていい場所だった。企画展も見たかったけど常設展だけで時間的に終わりになってしまった。螺旋階段を降りて行くとフロアにかなり暗めの展示空間があって、また階段を降りてという繰り返しが気持ちよかった。近くに住んでたら1人で来て上から階段降りては展示見るのを何度かやりそうだと思った。無料であそこに入れるのはとてもすばらしい。紀元前とかの道具の様相は当たり前だが日本と全然違うので、このくらいの近さで比べた方が一つの国だけ見てるよりも各々の特徴の違いがよくわかるので面白くなると思った。もう一回日本の原始ー古代の感じを確認したくなった。

 

250730

久々にはてなブログ開いた

異常気象やばい

真実には既得権益を得てる人間を動かす力がないことをグレタトゥーンベリのドキュメンタリーを見て学んだ 私が国連だったらあのとき全てを聞き入れていたのに。

恵比寿ガーデンシネマショーン・ベイカー/ツォウ・シンチン『テイクアウト』2004 観た。ニューヨークのチャイナタウンの中華料理屋で配達をやってその日の夜返さなければいけない借金をチップで稼ごうとする中国からの不法移民の話。玄関先で商品渡して、チップをもらうまでを繰り返すだけで集中力が簡単に持続して、途中の数行の会話での伏線と最後のドラマで映画が簡単に仕上がっている、ように見える、めっちゃシンプルですごい。撮影もショーンベイカーらしい。街の騒音と隣り合わせで生きる日々のしんどさとネオンのきつさと美しさが、自転車帰宅の数分間で完璧に表現されてる。私がテレビ局だったらこの映画を金曜ロードショーで放送する。誰でも必死に生きてるとかいう当たり前のことをわからなくさせるTwitterやニュース番組は最悪。属性で人間を判断するのは途方もなく愚かな行為 

エリザベート』韓国版ミュージカルが映画館で上映されてるのをさっき観た!初めてエリザベートを見た。良すぎた。エリザベートが「私の主は私だ」、死神が「お前の主人は私だ」とそれぞれ歌いながらハモる曲が一番良かった。舞台上に提示されている全ての要素がいいほうに転んだ先で、デュエットするという行為自体が輝きを放ってた。ミュージカルにしか行けないところまでちゃんと届いてると思った。

物語の中の"気が狂う"女に対するこの気持ちは何なんだろう。圧倒的に味方でいたいと思う。『赤線地帯』のゆめ子、『イメージズ』のキャサリン もっといたはずだけど 元祖は誰なんだろう。『アブラハム渓谷』のストーリーもエリザベートに似てる 主人公にとっての自由の象徴が小型ジェットボートを飛ばす行為になってるところがオリヴェイラっぽい

物語の案内役=ルキーニが殺人犯でアナキストという設定なのに、必要以上に狂人みたいに演出するどころか、まるで中立的な存在のように扱ってる風だったところに韓国エンタメ界のモラルを感じた。狂ってるのは世界なのかエリザベートなのかルキーニなのか?と問いかけるようなストーリーなのに、誰か1人を狂人扱いして安心したら本末転倒でしかない。物語には中立なんてあり得ない。そういう最低限のことを韓国のエンタメはしっかりわかってくれてるという信頼感がある。

『国宝』みたいに、人並外れた才能を持った者が(自分とは無縁の世界の)血筋争いで狂人になっていく様子が美しいだとか安全圏から言うだけで済むようなエンタメに何の価値があるんだろう。「自分とは関係のない異常者」を外側から眺めるだけの話が増えてる気がする。

『未知のソウル』超現代的な道徳の教科書ストーリーと言ってしまうこともできるのかもしれないけど、この先ずっと心の支えになってくれる物語。他人がかけてくる言葉がいかにテキトーかを丁寧に何話もかけて証明してくれる。私たちは自分自信に対して側から見たら異様なほど意地悪で、自分に制限かけてるのはいつも自分自身だ、ということを何話もかけて繰り返し教えてくれる。自分から開いた扉がまた閉まるということはない。糸が解けても初めから全部やり直す必要なんてない、解けたところからまたやり直せば良いだけ。

周囲のキャラ付けの呪いからの解放もテーマの一つ ミジは明るくて足が早いけど勉強ができないし今後もできないだろう、ミレは真面目で頭が良いからデスクワークに向いていて農業は似合わないとかの馬鹿馬鹿しさ ミジも勉強すれば大学に合格するし、ミレは明らかに農業に向いていた。 家族にまつわるステレオタイプも破壊してくれる 母親だからって娘のことを理解できてるわけじゃないとか 血が繋がってるかどうかなんて家族には関係ないとか 母親同士の連帯も描かれてて、それが一番泣けたかも こういう描写を全然見たことなかったからありがたかった。

 

 

250406

何歳くらいの時か忘れたけど、暗くなってから赤い自転車で家まで帰る時に歩道と車道のちょっとした段差にうまく対応しきれず街灯のあまりない公園の脇で転んで足に擦り傷ができたときも別にすごく1人だったなと思ったりしていた。

脳の4割くらいしか使えてない感じが続いてる。ものすごく狭い!困ってる 

多数派の人の納得できなさにこっちが合わせなきゃいけないと感じてしまう時がきつい。以前は別に誰も納得なんてさせなくていいと思えてたような気がする。納得させて差し上げる義務ないのに

『赤線地帯』。悲しいけど明るいという感じが薄いのに、それでもやっぱりなんか明るい。あんなに悲しいことばかり起きたのに眩しい。息子に捨てられて気が違った三益愛子が歌うあの歌心に留めておきたい。大事にしたいキャラクターだった。京マチ子若尾文子もめちゃくちゃ綺麗で演技が上手い。あの時代のメイクは怒ってる顔が良く映える。若尾文子がお金の入った筒を抱えて寝るってなるシーンも凄い。こんな仕事もう戻るなとか妻の同僚に言ったり、ラーメンを妻の分も食べた上で、死のうとする亭主とか、「おまえたちのためを思ってやってる」って恩着せがましい宿主とか、厳しかった。『バービー』で女ばっかりが政治家とか弁護士とか重要な職業に就くっていうラストの強展開を思い出して、この映画の内容でも男女が逆転したらと想像してみようとしたけど、あまり上手くできなかった

汚れた血』見て爆睡したあとにアンスティチュの本屋で買ったヘッセの『メルヒェン』1つ目の話だけ読んでものすごくストレートな寓話だったが泣いた 小説書くのがうますぎる フォードとかルノワールとかゴダールとか小津くらい魔法使いみたいな小説家を、今はまだヘッセと太宰治村上春樹しか知らない............

最近、今の時代に作られたもので共感できるものがあまり見つけられなくて、それもあって辛いような気がする。BTSが戻ってくるのを待ってるだけになってる。もっと探さないといけない