毎日いい天気。
またはてなブログのフォントが変わったみたい。おかしい。全然いいフォントじゃないな。これはなんだ?私の携帯のバグ?
就活以外全部できるのに就活だけが全然できない。なにかがおかしいんだろう。
人相も戻ってきたし、周りの人への信頼も戻ってきた。この先失うという予感すら今はもうない。
友達のブログしかまともな文章がインターネットから(見つけられ)なくなってしまった。友達のブログがあるだけまだましなんだろう。昔のツイッターはもうどこにもないんだから諦めないといけないのに。
SNS本当にやばい、何もない、何もないのに見てしまう、悪魔の発明
どんなwebインタビューも聞きたいところまで話が及ばない。尺が足りてない。全く足りてない。要約には、要約する前のほんの何%かくらいしか意味がない。必要としてるボリュームに辿り着いてない。無料の記事しか読まないから。みんなはどれくらい有料の記事を読んでるんだろう。
現代思想だと研究者が書いた論文しか読めないし、文芸誌の枠組みで切り取られ得るもののなかにも私が欲しいものがあまりないような気がしてるけど、各社のを真剣に読んでみたわけでもないから、一回やってみた方がいいのかも。こないだ銀座でもらった岩波のフリーペーパーは良かった。こういうのをもっと探して継続的に触れるしかないか。PHPという月刊誌も何回か図書館で読んで、私が求めてるものに少し近いけど、もっと雑多であるといいなと思う。責任を持って編集された、時代性のある、含蓄がある雑文を一気に読みたい。
ジャンル分けされ得るものに興味がないのに、ジャンル分けばっかり進んで本当に面白くない。ジャンル分けしづらいものが全部埋もれていってしまう。
売り切れのガチャガチャにもボンボンドロップシールにも全然興味ないのに知らない人とする話がそれしかないのは本当に絶望的だった。でも人気のガチャガチャをその辺にいる人と交換するのはとても楽しかった。交換。交換はステキ。みんなが幸せになれる。SNSで人気のガチャガチャがある場所としての店頭。そういう現実の使い方もVR的で面白いとは思うけど、現実ってそんなに簡単に捨てるのもったいなくない、視覚以外全部捨て去って。って思ってるからみんな山登ってる。ガチャ集める人と、山登る人。面白くない。クラスター?よりは界隈の方がましなのかな。
東京はこんなに壊れているのにみんな当たり前みたいに生きていてそれがそもそも受け入れられない。そんなこと言ってたらもう生きられないってわかるけど、半径10mのことだけ、家族と友達と美味しいご飯のことだけ考えて生きることの方が数億倍遠いことに感じる。壊れてるのは私の方なんだろうか。半分くらいそうなんだろう どうしたら直るのかな こんなにバラバラになって?
現実のすべてがバラバラになったところを、村上春樹の文章を読むと、なんか全部繋げられる感じがする。文体。バラバラになった感覚が全て映画になってると感じたのは、『女は女である』を見た時、アルトマンの『イメージズ』もそんな感じだったかも『アブラハム渓谷』も。バラバラの感覚がそのまま画面になっているのが映画で、バラバラになったものを繋げられる力を持ってるのが文体?フィクションの力 生活は、現実はあまりにも複雑で味気ないし、膨大で困難なので、フィクションをもっと頼るべき?
文体っていうか現実の描写の方法なのかな。英語小説の翻訳風に日本の風景を描写してもらうことが有難いということなのか?これってだとしたら韓国語の直訳日本語文体に救われるのとかなり近い現象なのではないか?