もう3月になった。BTSが帰って来つつある。アルバムタイトルは『ARIRANG』、アルバムのタイトル曲は『SWIM』だということが昨日分かった。芸能人としてアイドルとしてアーティストとして生きていくことを、"走る"から"泳ぐ"に例え変えることにどんな意味を持たせているのか気になる。やめたら溺れてしんでしまうというところが主な違いになるんだろうか。RMは全ての曲の制作に参加している。フーリガンというタイトルの曲がある。生きててくれるだけでいいと思うのに、良いものを期待してしまう矛盾が辛い気がしてくるだけな気がしてくる。BTSたちはミンヒジンとNZとパンシヒョクについてなにも自分の口から話せないことに苛立ちを感じてるように見える。会社に人質に取られてるようにしか見えなくて切ない。今回の契約は何年なんだろう。
ハリースタイルズが私と同じ感じで村上春樹に救われてた話をしてたので、英訳しても良さって失われないんだと思ってかなり驚いた。
昼暖かい(少し暑い)のに夜結構寒い。昼間ソル・ルウィットの展示を見に行った。厳格さ芸の人だった。ストローブ=ユイレ以来の。執拗なまでの厳格さには何故かすごく癒される。どの作品も特にサイズが厳格すぎてありがたかった。厳格すぎるとありがたいし笑えるし癒される。これってどんなコメディよりも幸せを生んでいる可能性もあるのではないかとか思った。私がそういうタイプなだけなのか、それとも皆んなに共通のことなのか気になる。
三島にあるベルナール・ビュッフェ美術館も行った。パリの画家!のイメージそのもの。美形すぎて驚いた。黒って良いなと思えた。黒い服を着る時ビュッフェの黒をイメージすると肯定的なイメージで着られるようになった。黒が好きじゃないのかと言われると難しいけど、大手を振って心底大好き!といえる色ではないような気がする、自分にとって。でもビュッフェの黒はとても良い。生きていく感じの黒。
『嵐が丘』エメラルド・フェネル 見た。パンクだと思った。そして前作同様キャシーが最後に死ぬ映画だった。日比谷TOHOのスクリーン1で見たらかなり良かった。日比谷TOHOが今一番好きな映画館だと思う...スクリーン1か12
この映画でヒースクリフは、女性が欲しい言葉だけを言う機械?人形?モノに成り果てている。人間性は奪われている。ナウシカがおじさんの胸に飛び込んで泣く描写を見た時と同じ気持ち悪さを、これを見た男性が感じることがあると思うんだけど、どうなんだろう? 女の子(とあえて言っていい気がする)が望む、人間らしさを全て度外視したエロい男として、ジェイコブ・エロルディーがずっとセリフを言っている。女をモノとして撮ってきた映画は、この世に無数に存在している。それは当たり前すぎて、誰も突っ込まないレベルで浸透していることでもある。女の身体をモノとして映すことがアートなことみたいに思われていた時もある。いうまでもなく映画業界では男性が中心となって映画を撮って、映画を評価してきたからそういうことが起きたんだと思う。『嵐が丘』では逆に、男がモノとして撮られている。そういう歴史たちの上に立ち、張り切って人形役をやってくれるジェイコブ・エロルディーのかっこよさに胸を打たれた。それがなくともカッコよかったけど...
"やられたらやりかえす"の正当性は誰に計れるのか、裁けるのか、どちらにせよ痛みの連鎖を食い止めない時点で褒められた行動ではないと思ったりするけど、シンプルにMale Gazeに対抗するFemale Gazeの映画だってことを私はいってるだけなのかもしれないけどとにかく女性が人ではなくモノとして撮られてきたことへのアンチテーゼの映画であり、その行儀の悪さを完全に支持する。一旦ひっくり返してみるという行動じたいに意味がある。そういう実践 アクション 大金がはたかれるのにふさわしいと思う。前作も"やられたらやりかえす"についての映画だったなと思う。なかったことにするくらいならばやりかえすほうがマシだということだと思ったりする。映画の歴史もなかったことにしたらやりかえせないし。やりかえすことは、むしろ見てきたということの証左でもある。
エロ=女性の上半身や下着の露出やセックスなど あり!爆発!が(ヘテロ)男性向け"バカ映画"だとしたら、エロ=自分にだけ優しい高身長荒くれ者男性の甘い言葉やセックスなど あり!ゴージャスなお屋敷とドレス!が(ヘテロ)女性向け"バカ映画"として作られても良いのではないかという発想。センスがいいとか悪いとかではなく、そういう存在として支持している。そういうのもあってもいいではないかと言ってる人を支持してる。そういう見方でポップコーン食べながら笑いながら見た。というか日々女性の身体が強調されたもはや人間なのかもわからないような気持ち悪い絵を街中や公共交通機関の中で見せつけられて本当にバカにされた惨めな気持ちになっているんだからこういう機会もないとやっていられないとも思う。関係ない可能性も高いけど、ラップの歌詞の下品な表現とかも、こんなふうに笑える娯楽として機能しているのかなと思ったりした。それがなんとなく初めてわかった気もしてみた。全然違うのかもしれないが
原作好きな人が怒っていたりするのを見たけど明らか下心全開の二次創作みたいなクオリティだし、それをそもそも狙って作られていると思った。これは純愛と呼べないと思う。相手が不在だから。全編を通して、この映画に映る"恋愛"とされるものは、本当に無責任で、身体は介在してるふうだけど実際はただの妄想でしかない。実感がない。痛みがない。キスシーンやセックスシーンがやけにぼんやりしていてヒースクリフの顔のショットだけが整った照明の中でくっきり映し出されるのはそういう意味だと思った。
ただ本当に本当に勝手な感想だがエミリー・ブロンテが生きていてこれを見たら普通に笑うんじゃないかなとか思った
映画としての良さは上記を抜きにすると本当にほとんどない!!『センチメンタル・バリュー』にも同じくらいなかった!!花瓶が割れなかったところだけは、よかった。どちらも良い画はたまにある気がするのに、感動するような繋ぎも動きもなぜかない! 越えられない壁>>>>ケリー・ライカートって感じ ジェームズグレイもすごい!!次点でジェームズマンゴールドとショーンベイカー
ヨアキム・トリアーはやさしさこそが今の時代のパンクと言ってるみたいだけど、それも一理あり、だが女性にはもっとやれるパンクが色々ある時代
1801年とかいう今から考えたら想像もできないくらい野蛮であったであろう時代に今になって思いを馳せる気持ちもなんとなくわかると思った。世界が野蛮さに退行していくかのように見える時に、結局そこから成長なんか誰もしてなかったんじゃないかと思う時に、改めて思いを馳せたくなる気持ち
原作がいままだ112ページで、どういう話なのかわかっていないけど映画見た後の方が読むのが面白いのでよかった。読み終わったら『自分ひとりの部屋』も読みたいな そしてウィリアムワイラー版も見る リヴェットもブニュエルも見たいけど見る方法がない...