230924

 

人相が復活の兆しを見せ始めた、とても嬉しい。理由はよくわからない。

 

NCTの全体コンサートの配信を見ていたけどやっとのやっとでNCTのことが腑に落ちてきた。全体の構成がすっきりして見やすくて、ジャニーズっぽい と私が感じてた部分が全くなくて、とてもよかった。イスマンがいなくなったことがどれだけの影響を及ぼしたのかは推測するしかないことだけど、関係あるのかなと思った。東京ドームで127をみたときの忠誠心で満ちた面持ちみたいなものも全くなくなっていた。ドヨンが楽しそうな顔をよく見せていたのを見てかなり好きになり、色々動画見てる。127の全体が常にグルーヴしてるみたいなダンスを見たあとにBOYNEXTDOORの新曲を見たら、止まってる時間多いな って思ってしまったりなど そういうことではなかったはずなのに...  

 

2-3時間没頭して居心地の良い状態で読書する というのを叶えられる状況じゃないのが日々やだなと思う 椅子に辛くなく座る方法がよくわからない どんな座り方していてもつらい。最高のソファがあって誰でも利用できる空間ってどこかにあるのかな 

 

家族ゲーム』(1983) 見た おもしろい 温めの"いじめ"とか、この程度なら良心的かと思ってしまえるような暴力(ビンタ)とか、何かの講義でも見たラストの食卓での松田優作起点で兄まで伝播する破壊的な行動とか、全部が重なっていって、ヘリコプターの騒音の中で父親以外の3人を眠らせる なんて自然な起承転結なんだろう 主人公と幼馴染の喧嘩と仲直りだけがちょっと腑に落ちなかった あれはなんだったのか 昭和というのは...暴力を軽視しすぎている。明治と大正がそれ以前がどうだったのか知らないけど 暴力によってつくられる一種の陶酔感とか、高揚感とか、そういうのを無邪気に楽しむのはもうこれ以上なしにしよう という時代なのではないか  これくらいの面白さの映画がじゃんじゃん作られる2023年とかって 不可能だったかなって想像してみたり K-POPのMVは意味わかんなくても良いってムードだったからこそ今くらいのところまで発展したと感じる 

 

吉田さんの演劇をまた見た。また面白かった。前行った高円寺のお店にまた行った。このお店本当に大好き

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230910

 

本当に嫌なことがあり、思い出す度に痛いし、体が硬直するし、なにより惨めで、自分が物みたいに扱われた光景を俯瞰して見るイメージが頭から消えない

もっと他にできたことあるだろうと思われることが怖くてあまり話す気になれない  きっと私にも悪いことがあったと思われることの方が怖くてあまり話す気になれない

昨日見た漫才ライブでマグロがセンターに置かれてない回転寿司を前田敦子がセンターに置かれてないAKBに例えて、"マグロの店でつぶ貝食う"の後に"前田敦子の店で板野友美食う"と表現をしてる若い漫才師がいて、そういうものに対して以前よりさらに強く拒否反応が出るようになってると感じた

単純にそんなこと言うのなしじゃないか...?って思ったのだが、その感覚自体が周囲とズレ始めてるみたいで、私にとっては全部同じように有り得なくてどこまでが"常識的に"有り得ないことなのか全く分からないから、あんまり人に伝えたり怒ってるってこと言わないようにしなきゃと思ったんだけど、そんなことしてまで話したい人なんているのかなと今は思っている そんなことだったら一人でいた方がましなんじゃないか 人生だって短いんだからそうじゃない人と話せば良いんじゃないか やばい人間と誰かに思われてもそっちの方が何倍もいいんじゃないかと 

最近考えてたこととの繋がりの延長線上にそれが起きたと考えてしまっているために、それと繋がりがある考え発言に触れた時に体が硬直する

レインマンズの漫才だけは昨日もとても安心な気持ちで楽しく笑えて 本当に嬉しかった 決めつけた言い方する堀越に対して赤瀬が戸惑って聞き返すところ、日常の私を救う漫才 そこがちゃんと笑える内容で展開されるのが物凄く格好良い "エンタメトレイン...?若手芸人の追っかけだけをエンタメだと思っている...?/それはそうでしょ/そっか..."うろ覚えだけど 

兄弟 の漫才は見ず、レインマンズ の漫才だけ見ればいいのではないかということ

 

 

 

 

 

 

230813

文化村のファミマの渡ったところの坂の下で真昼間に瞳孔が開いた男女がずっと立って見つめあって笑っているのを見てから渋谷も渋谷的な喧騒も全てが無理になりもう少なくとも今年の夏中は渋谷には行けなさそう 女のカラコンと2人の笑顔と明らかに意識が正常ではなさそうなのにずっと立ってられることの怖さ、なによりその男女間での余裕の違いみたいなものが、物凄くグロテスクに思えてその印象が頭から離れない

自分の文章の冗長さと稚拙さが最近とても気になる

そして最近友達と話しても話したいところまで辿り着かない 会話の形式を変えないとずっとこうなのかもしれないと思った 色んな人の会話を聞いてみたい

『バービー』2023 グレタ・ガーヴィグ

桜木町の駅前の商業ビルに入ってるブルク13という映画館でおんべと見た。 ピンクの服を着ている人が結構いて、そういうやつがあることをすっかり忘れてたので参加できず残念だった。ピンクの服持ってないけど。ピンクの服でおしゃれしているみんなが本当に本当に可愛くて、映画館がそういう場所になってることが最高で涙出た。

一貫して定番バービーが勇気がある人だったり強い人みたいに描写されることが全くないところが良かった 世界に"裂け目"が入ってしまうことは何かがおかしいと気づいてしまうことであり、気づいてしまった人がもっと良い選択を掴み取っていくためには、必要なのはヒロイックな勇気や強さなんかではなく、気づいたことについて他の人と話すこと、解決方法を聞いてみること、話し合うこと、協力し合うこと、それだけで良いということ

バービーはバービー、ケンはケン、みたいなオチはゴダールの映画に執拗に出てきてたやつのような それは実存的危機から生を肯定する唯一のルートみたいにも感じられるしそうするしかないみたいな落とし方だと思った ラストケンが泣くあたり、カット割りとか動線変すぎて混乱した 今思えばあれは唯一ベッドで行われた会話だったから、わざと変だったのかもしれない 

ケン同士が強さを競い合うために最後戦争して、その隙にバービー達が憲法を元に戻す。その前のライアン・ゴズリングとシム・リウのミュージカルシーンが良かった。そういう側面が素敵な物を生み出す瞬間も当然あるということ 

追記:このシーンは『雨に唄えば』のパロディらしい。元は男女ペアのダンスをここでケン同士が踊ること、それが良いものであること 

『バービー』では戦争(っていうか喧嘩だが)はケン同士の強さ比べのために起きた。『君たちはどう生きるか』ではまるで人間の悪意に善意が勝てずに原爆投下が起こった、みたいな描かれ方をした。

映画終盤無事バービー社会に戻った後のケン「俺も大統領になりたい」、大統領バービー「そうだね、いつかきっとなれるよ、でも最初はいちばん下のポストからね。」ナレーション「いつかきっと、ケンたちにも輝く日が来るでしょう」...

バービーが現実世界に来てビーチでローラースケートしている時「なんかおかしい。ものすごく居心地が悪い。」と感じるところで泣きそうになる。やっぱりおかしいよね?ものすごく居心地が悪いんだよ。

グレタ・ガーヴィグの映画は前の2作含めて全部やぶれかぶれで走りながら最後まで辿り着く感じなんだけど、今作がワーストだったと思う。ショットは全く決まらないし、素敵なカット繋ぎなんてものが実現する感じの気配もなく、最初の2001年〜パロディのところからずっとペラペラの感じなので、こんな映像が大きなスクリーンで流れていても良いのだろうか!?みたいな気持ちにもなった。音楽の使い方も何をどうやったらこうなってしまうんだとびっくりするほど稚拙で全部良くなかった。(エンドロールの黒バックで流れるビリー・アイリッシュの曲だけはめっちゃ良い)でもこの映画のそういう部分に関しては度外視して良いほど存在していることが助かる映画だと思うので、企画を出してくれたマーゴット・ロビーとここまでやり切ってくれた監督に本当に感謝

この映画を上記の理由で無意味だと駄作だと切り捨てることはとても簡単だと思う。でもそれを出来ること自体があまりにも特権的なことではないか グレタ・ガーヴィグのこの現象はなんか物凄い不思議、どういうことなのかわからない。状況はBTSに似ている とにかく私たちにとっては生きることに関わる大切なものであって、それを評価せずに生きていける人からの評価なんて別にいらないということ、そもそも映画批評の歴史は男性映画批評の歴史ではなかったか?と考えた時に。

マーゴット・ロビーの顔もっとずっと綺麗に撮影することはできたはず、それにしたって暗すぎないか?と思うんだけど、それはもしかしたら鬱バービーの時だったのかもしれないし、意図的なのかもしれない。或いはもはや美しさを撮影で演出するみたいなことへのアンチテーゼなのかもしれない。

ほとんどのアメリカンジョークが理解できなかったのでほとんど笑ってない アメリカンジョークを解する人が多い劇場で見たらもっと楽しかったと思う!

この間読んだWeyes Bloodインタビューの中の下に引用した部分がとても心に残っていて、"この地獄のような場所で何か意味を探す"という感じが、グレタ・ガーヴィグの映画にはあると思う 

ミレニアル世代の私たちは今興味深い状況にいて、行き過ぎてしまった世の中においてノスタルジーをどう扱うか、その葛藤と戦っている。私はノスタルジーを意味のあるものに連れ戻したいと思っている。だって毎晩叫んで発狂しても、私たちの世代に連帯感をもたらすことはできないんだとわかったから。だから、この地獄のような場所で何か意味を探すために、私たちの世代は曲を作っていると思う。

https://rollingstonejapan.com/articles/detail/39806/2/1/1

 

 

 

230703

 

小学生〜大学生までの間、MBTIが今くらいポピュラーだったら、私はもっと全然傷つかずに萎縮せずに屈折せずに生きてこれたのではないかと思えてならない この人は私が嫌いだからこんな言い方をするのかとか、なんで悲しそうな人やんわり無視して場が進行するのかとか、とにかく想像力がなさすぎて自分と性格や思考回路が全く違う人がいるってことをわからないせいで無駄な時間を過ごしたと思う。今となってはMBTIのSかJの人と接した時にダメージ受けやすかっただけだろうとなんとなく思っている。

 

週末 甲府に初めて行った 面白いところだった 七夕祭りのために商店街に飾りが釣ってあって、風が吹くたびに大雨みたいな音が鳴っていてとても良かった 音量も音質も良かった。

1軒めで『魚屋ちから』という 500円で薄いグラスの美味しい生ビールがたっぷり飲めて、4000円くらいで心ゆくまで飲める海鮮がとても美味しい店に行き、久しぶりに食べ物が美味しくて幸せでジーンとする状態になった 何年かぶりの気がする 竹酒というキンキンに冷えた竹で提供されて竹のお猪口で飲むスタイルの酒にもはじめて巡り合って飲んだ 竹の厚みとフチのやすられ具合?が飲むたびめちゃくちゃ気持ちよくてすばらしかった。店員がほのぼのと仲良しでみんな元気で、お客さんも活気があって、そんな風景を見たのがなんかとても久しぶりだったのでそれもなんかものすごく感動した 。

2軒めを探して徘徊していたら甲府のトー横みたいなところがめちゃくちゃ盛り上がっていた ピンクの照明の立ち飲み屋とうどん屋の立ち飲み屋(?)に若者がたくさんいて、賑わっている あそこで飲んでみたかった 地下街というサインを見て階段を降りたら埃っぽい暗い中で角の店だけOPENのふだがかかっているのを見つけて、例によって入り口から店内は見えないから一瞬躊躇したけど入ったら素敵なバーだった 『馬酔木』という店 55年からやってると言ってた気がする。最近はこれみて若い人が来たりもする、と大阪の人が作ったらしい地下街のZINE?を見せてくれたけどとても良さそうだった 読みたい どこで手に入るんだろう。途中でマスターがマカオの話に食いついてきて、ラスベガスに行った時の思い出とかも話してくれた マカオが99年までポルトガル領だったことを知らなかった。私は現代史を全然知らない 勉強したいと最近おもう

3軒めはスナック 東京から来たと言ったら常連さんがめちゃくちゃ喜んでくれて しまいには全部奢ってくれた 私がいつの間にかスナックを苦手じゃなくなっていることに感動した 慣れってこういうことなんだよな ママが貧血で座り込んでたのでヘム鉄をあげた 最初飲んでくれなかったけど、他の人がみんな帰ったあと飲んでくれて、そういうふうにするものなのか。と思った

 

次の日『一刀斎』という、満員なのに静かすぎる店で食べたカレーが信じられないくらい美味しかった 福神漬けとカレーとお米と温泉卵全部一緒に口に入れた瞬間 美味しすぎて でも静かな店だから何も言わずに完食した 皿の薄さも鶏肉の味と柔らかさと量も完璧に思えて あんなに幸せな時間も滅多ない また行けたら、オムカレーを食べたい

『ロッシュ』という喫茶店も行った 喫煙を大事にしている古き良き喫茶店 コーヒーゼリーは甘さゼロで1日3個限定だった この店の金土は23時まで営業してるというのがほんとにすばらしいと思った 夜遅くに喫茶店でコーヒーが飲めたら本当に素敵だといつでも思っているから 

 

もう東京で中途半端なお金を出して美味しくもないようなものを食べるのはあんまりやめようという気持ちになった 6000円とか出しても美味しくてジーンとするみたいなこと起きづらいと感じる なんとなく美味しい店でも野菜や皿の感じ、または常連や店員がなんか嫌な時も多いような 他人を萎縮させるような人って 最低だなーと思う

でも銀座で食べた牛タンはとても美味しかったけど

 

『推しの子』悲しみに暮れながらも11話まで見た。アクアが出てくると悲鳴あげてしまう 外見が優れていて才能があり何もせずみんなから好意を抱かれ、大人ともうまくやって成功するみたいな、そんな幸せしか描けないことは、本当に虚しいと思う。そしてそれは社会のせいだとも思う。日々分断がどんどん進んでいくような体感がある。もっと他人にヒドくしないと、他人の悲しみや存在に鈍感にならないと、みたいなムードがとても憂鬱だ

そのあと『スキップとローファー』を見始めて 境界を溶かすことの描写に涙した 違いに触れて、影響を受けて、何か空間を自分の中に獲得すること、人と接するときの中で一番幸せな時間 この物語の舞台が偏差値公立東京2位の進学校なのは、リアルすぎて苦しい 。

ギャグ描写が推しの子と違いすぎる  推しの子のツッコミは全部ステレオタイプを呆れた顔で吐き捨てるかたちをとっているんだけど、そもそもそれツッコミですらないか、ラクするなとしか言いようがない でもみんながわかるようなこというのが正義なんだろうな 結果的に既存の価値観の押し付け合いしか起こらない、不幸だ

 

『モラン神父』1961 ジャン=ピエール・メルヴィル 見て なんて優雅な時間!と思った こんな感情の微風を128分もかけてダラダラやる優雅さ 内容、恋愛の部分だけだと全年齢対象の携帯小説みたいな感じでもある 戦争と宗教のところあんまり理解できていない

 

 

 

230623

 

久しぶりに熱に脳と関節がやられる感じの体調になってなんか嬉しかった

自分の都合のいいように全部を言い換えている人見ると嫌な気持ちになる 自信なんてないほうがいいんじゃないか ほんとは 正しさを頼りに生きてる人に押し付けられるのが本当苦手 そんなものに頼らないでくれ 脆いだけで 全然格好よくなんてないんだから 絶対見返りくれないものを正当化しようとするから苦しいのになんでそんなに戦いたいんだろう。そういう不憫なオーラと無縁の場所でいつかは生きていけますようにと いまだに願ってしまう

NANAを読み返してみたんだけどナナ同士の恋が妊娠によって引き裂かれて以降ストーリーが破綻している気がした タクミの優しさや誠実さが奈々の役になんて立ってるとは思えなかった 前読んだ時と全然違うね 宗方仁って今読み返したらどんな人に見えるのかなってちょっと気になった 

アルトマン『イメージズ』最高だったな 歳の離れた女性が救い合う描写がいまはなんかすごく好き 

江ノ島でぜんざいと生しらす食べたい 冷たい日本酒と鰤と胡麻和えたやつとかを一緒に食べたい 鍵善には四条ではなく高台寺店というのもあってその建物がすごく良さそうだったけど改装してしまうらしい 

大山駅とかいう全然知らない駅にいます

 

「推し活」とか言うけどシンプルに全部消費行動だから活動なんかではない でも一つだけ「推し活」って呼んで良いものがあるなら街頭とかテレビに広告を出すことだけだなとか思ってた BTSが今年のFESTAで、ファンが広告出しそうな場所を全部先に取って広告を出していて、逆にプレゼントみたいなこと言ってたけど、それただ広告出してるだけじゃん でもとてもフェアな恩返しだと思った

 

 

 

 

 

230603

 

 

ロング・グッドバイ』1973 ロバート・アルトマン

素晴らしい、楽しい映画だった 画面の縦横比を心得てる映画 ガラス?プラスチック?で擦ってもマッチに火がつくのに驚いた

ロジャー・ウェイドの豪邸でマーロウが酒を飲まされるシーン、そこはかとない暴力の雰囲気で その前にヤクザのボスが女を殴る前の静けさをさらに拡張したものだと思われて身構えるからものすごくワクワクするのにその時には何も起こらず その後のパーティーのシーンでも異様な緊張感の中で結果としては酒瓶が割れるだけで その二つが映画を通してラストまで引っ張られた先にある本当に素晴らしいタイミングでの予備動作のない発砲 なんて美しいのか!北野武も緊張と緩和において本当に上品で極上と思っていたけど その点においてアルトマンよりもエンターテイメントだったのかと思った 主人公の倫理観というか生き様が北野武映画と似ていた

マーロウの家もロジャーの家もずっと逆光でそれが本当に美しい 一番ロマンチックだったのはロジャーを家に帰したときに家の外側をユラユラ歩き回るロジャーを2人が追いかける形で3人でずっと左に向かって歩いた後に、ロジャーがソファに倒れ込んで、その後すぐマーロウとアイリーンが右に引き返して歩きながら話すところ アイリーンがチキンの中にバターが入ってる料理(?)をふるまってるところも過度にロマンチック ワイングラスに注いだビール 良い その後人が溺れて死ぬのも美しい、荒波の中で2人がロジャーを助けようとするシーンは少しだけ失敗している気もしたけど、良かった 

ガラスの内側で別れ話をしているときに波とマーロウが反射で映り込むところは、そういうカットを撮ることへの心意気みたいなものは、とても親しみ深いものだったと思う

アイリーンの車を追いかけるところも、道ですれ違うところも良い 好きな人の友達ってなんか、顔褒めたり美味しいもの食べさせてあげたくなるけど最終的に無視はするよね という

『推しの子』辛すぎて泣きそうになりながら見たんだけど、あれは親兼推しを殺された人が復讐しようとする話で、そういう客観的な正しさでしか何かを殺してはならないっていう価値観が、すでにフィクションの中の殺しを殺していて、苦しい 

 

 

 

 

230501

 めっちゃ書いたのに全部消えた。悲しすぎる。

  土曜の昼過ぎに初めて家から歩いて渋谷に行った。本当に天気が良かった 映画館に行くのに駅を介さなくて良いというのはかなり素晴らしいことだ 渋谷の街を駅と切り離して考えられるようになるのもとても良い 代々木八幡宮に初めて行ったら木が全部大きくて良かった。本当に最高のことは実は人とするよりも一人で感じた方が楽しい、と思ってた気持ちを思い出す散歩時間だった  

  最近外を歩くといつもいい匂いがする。さっきの日本橋は温泉の匂いがした。家の前の道はお花の匂い。日曜の夜はソアリンの香水と同じ匂いだった

 『中国女』見ようと思って映画館に行ったら間違えてて『1P.M.』だった。前半爆睡した。かなり気持ち良い睡眠と目覚めだった。ゴダールが演出つけるところをしっかりみたの初めてだったけど演出をつけてる時点でもう場の雰囲気が完全にゴダール映画になっていて、出演する人たちは現場でみんなあの雰囲気に持っていかれることでゴダール映画の登場人物としてすぐに存在してしまうというのが映像を見ただけでもわかった。教室のシーンは即興性が高すぎてすごかった。「あなたがこれについて考えながら喋って、このシーンがどういうものか考えて喋って」みたいな指示が多かった。でも言葉の抑揚まで細かく指示している時もあってそのときは歌のレコーディングをしてるときのプロデューサーみたいだった。指示してカメラが回ったら急にその場から去っていることもあった。とにかく現場の時点でマジカルだった。いくらでも見ていたかった。知らないバンドの無許可屋上演奏シーンも最高、バンドメンバーがパトカーに乗せられるところまでちゃんと撮っていてすごい。ものすごく身体的に映画を撮っている。それはそうだけどそのやり方が、思考と身体の使い方のバランスのセンスが異常に良い。ゴダールはまだ全然死んでないということが確認できて良かった。全然死んでないっていうか唯一無二すぎて ゴダールが死ぬ前に地球が終わると思う

 『レッド・ロケット』ショーン・ベイカー 2021

  すこしつまらないけど素晴らしい。清算の仕方が鮮やか。マイキーが自分で手に入れたと言い張っていたものは、実際はそうではないのでキッチリ返してもらう。交通費をあげるのは助け合いの心。欲望は推進力だが他人にとっては天災のようなもの。マイキーとストロベリーの関係を裁くのは滅茶苦茶簡単だし答えは出ているが人生はそういうこととは関係ないところにもある でもこんなことを言うのはかなり危険なので本当は言わないほうがいい。ショーン・ベイカー自身も批判を受ける覚悟はあるみたいに言ってたのはそういう部分だと思う 私的に、90年代を乗り越えるというのはそんなことを言い出さないことだというイメージがなんとなくある 

 『鍬と星』ジョン・フォード 1936

  私が考えてることが全部シンプルに映画になっていた。すごい 女は泣いて帰りを待つだけ、男達はみんな怖いと言う勇気がないから戦争を続けている、そんなに悲しいなら私結婚なんてしないわ。ダドリー・ニコルズの脚本は意味がわかんなくてすごい。『スカーレット・ストリート』の意味のわかんなさをいまだに気にかけている。この抜けた感じがとても好きかもしれない。最強の省略スキルの持ち主の可能性。他ももっと見て確認したい。女2人が酒場でバトって石投げてガラス割るシーンは最高。投げた後の酒場の客たちが何も言わずに突っ立っていてなんだこれって感じだった。演出なしなのかあえてあれにしてるのか謎。3人目の男は石を取り上げられていた。

フォードの30年代の映画『最後の一人』と『ドクター・ブル』も見たけど滅茶苦茶面白い。30年代のフォード最高ぽい

  THE1975の有明のライブには救われた。あの現代的な優しさは他に似たものを見つけたことがない。許すか許さないかの話をするのは本当に簡単だけど、人生はそういうこととは全く関係ないところにもある

  ルセラフィムの『UNFORGIVEN』許されざる者。カウボーイコンセプトのティザー写真が最高だった。こういうメッセージのために今のK-POPはある、善かは知らないけど必要でしかない。ルセラフィムは笑顔の感じが新しくて良い。笑えと言われてるのか言われてないのか気になる。ニヒルな笑いでは全くないのにその延長線上で勝ち取ったという感じの雰囲気がある笑顔をしてる。

나랑 저 너머 같이 가자 my “unforgiven girls”
あの向こうへ一緒に行こう あたしの"赦されざる少女たち"

나랑 선 넘어 같이 가자 my “unforgiven boys”
あの向こうへ一緒に行こう あたしの"赦されざる少年たち"

ムン・ドンウンとキャシーのこと思い浮かべてる。横一列で手を繋いでるサビのコレオ最高