20180513

 

雨。また風邪。結構つらい。

 

丸の内ピカデリーで家族と『レディプレイヤー1』をみる。3回目。この映画を見た感想が「日本人でよかった」的なものである人は、『グッドウィルハンティング』で感動してそう。

"こんなにもシンプルで大事なことを、なんでみんなわかってくれないんだろう、どうしてみんないつも、諦めた顔で冷笑してくるんだろう"という私の日頃の怒りとシンクロしている内容だから見に行きたくなるということがわかった。これを偽善という人は、いまの世界のシステムにある種洗脳されながらも自覚がない人

終盤の、契約書にサインしないところでいつも泣いてしまう。知識を持ってるってこういうこと、歴史を知るってこういうことだろう、と思って感動する。

「これは僕の世界だから」というパーシヴァルのセリフは、ファンタズミックのミッキーの「君がどんなに強くても、これは僕の夢なんだ」っていう私が大好きなセリフとおなじ。

サイモン・ペッグが『ホット・ファズ』の主人公ってことに今日やっと気づいた。

 

そのあと渋谷らくごに行った。今月2回行った末廣亭深夜寄席はそれはそれでとてもおもしろくて快適で素敵なものだったけど、今回は二つ目の噺家しかでていなかったので全体的にずっと質が高くて面白かった。

 

メモ

柳家わさび 声が小さい人。貧乏長屋の話。「黄金の大黒」

桂春蝶 上方落語の人。声が大きくてひな壇芸人みたいなエピソードトーク  日本の客が世界で一番笑わないと言ってた。笑わなくていいのは平和だからとか。今まで見た人の中で一番アクティブに動いてた。また見たい 「野崎詣り」

橘家文蔵 枕がほぼ汗を拭きながら暑いと言ってただけでかなりうけた。上等な辛口の日本酒を飲みながらゆでたての枝豆を食べつつ「大谷くんすごいねぇ」とか言ってるシーンがあって世界一幸せな時間じゃんと思って感動した 「馬のす」

瀧川鯉八 めちゃくちゃ独特な語り口で新しかったし、独特な話の展開もかなり好きだった。もっとたくさん見てみたい。ポップな落語なので中高生にみせたらかなりウケるとおもった 「長崎」

 

落語は本当に良い ほんとは畳に座りながらみたかった。

WOWOWで早朝らくごという番組が毎朝放送されているらしいので明日予約してみる。

 

今日は財布を忘れたまますごした。

 

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20180503

 

この何日かで私を元気付けたもの Violet Chachki、『野いちご』の息子の妻マリアンヌ、トリプルファイヤー吉田、オードリー若林

 

ダブルスタンダードは一番苦しい。自分が作りあげた幻想の籠の中で生きることは苦しい。

ばかばかしい考えが頭から離れない。孤独になれということなんだろう。孤独になれないといけない。そうじゃなきゃつまらない。

生まれた町のせいにしたりするのは簡単だな コンプレックスってこういうことなのかな?本当は私は、私を取り巻く全てや、私のことがいちばん大好きなはずなのに。私が好きなものがこの世でいちばんすばらしいはずなのに。 

 

こんなに 私 が出てくる文章、他人のものだったら絶対に読みたくないなー

 

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20180425

 

もう4月。

夜は寒いのであまり気分は上がらない。

 

一昨日『レディ・プレイヤー1』2018 スティーヴン・スピルバーグ を観た。今の時代にお金を惜しまずに作るCGはかなりすごいということがわかった。胸アツ展開が次々に起きて気づいたら終わってた。"現実だけが本当のリアル"であることは、やっぱり何度考えても、どうしても逃げられないことなんだということを伝えたかったのか。

授業でみた『カップルズ』1996 エドワード・ヤン も本当に良かった。最高のキス ここでもない、でもどこでもない場所にあるキスだった。たとえ生き残れたのが1人だったと考えても、ほかのやつらもみんないいやつだった。映画の中の死は、現実の死とは、全然全然全然全然違うものだ

 

今日は天気が良すぎる。

 

昔は自分の中にしか、もしくは家族と自分の中にしか本当のことはなくて、すべてはだいたいちょうどいい距離でガラスの外側にあった。自分が、眺めているだけであることにフラストレーションを感じたことは一度もなく、ただ誰かもまた私を眺めるしかないということにむしろ心地良い感触を持っていた。でも、目を合わせてくれない人たちにはいつも少しだけ怒っていた。今になって、それはわりとよく普及しているコミュニケーションの方法だということを知った。私はただ素直に喋っているだけだった。家に帰ったらご飯を食べて雑誌を読んでから寝た。

つまり、今も何も悲しむことなんてないはずだということを私は信じ込もうとしていた。

泣いても叫んでも変わらないことをどうにかしようとは思えない。でもだから、悲しむことなんてないはずだと私は信じていた。

本当は何も知らなかったほうがよかったはずだなんて思うのは臆病だと思った。でもそれでいてそれらすべてを慈しむような態度にはとうていたどり着けそうにない。

でもきっとただ戸惑ってるだけだよ。

 

 

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20180326

 

やっぱり頭混乱してるけど、混乱してるだけでは本当になんにもならないから、動をうまく静にドライブしていかないとなんにも始まっていかないという部分があること、それをコアに持っていないと毎日意識がある意味がない。

 

昨日早稲田どらま館でロロ『いつだって窓際でぼくたち』を見た。町の花火を待つ高校の教室なんて演劇でも見ないともう行けない場所。学校なんて意味のない箱で過ごしていたこと、偶然同じ時にその中にいるなんてたまたま同じ町を歩いてるのと同じようなことだから、実質まったく関係のない人と同じ日に同じ場所にとどまって花火のカケラを見つめるなんて奇跡みたいな話だ。いつ高みるのは3回目だけど、誰がどんな人でも誰も否定しない、ほんとにユートピアみたいな世界だなといつも思う。現実では、同じ学校に通ってるってだけであんなに壁なく会話できるなんてわけがない。でも本当は誰とでもあんな風にコミュニケーションしたい。

カケラからするあてもない妄想を誰かと共有できるってそんなに素晴らしい時間はないでしょう。なんのためにとかそんなことあるわけないよとか誰も言わないんだよ。"群青"はあの日の夜、どうしようもなく嬉しい気持ちで布団に入るだろうなと思った。

 

春の夜に飛び交う細かいカプセルが喉から鼻に突き抜けるのが阻止できなくて、小さな暗い海で波が押したり引いたりするのを見ていることしかできなくて、その中でいつ高みたら気持ちが本当にピュアになってしまった。演劇のしくみ自体に尊さ感じて無性にありがたかった。

 

いまはゆるふわギャングを聞いてる。私もはやくゆるふわギャングになりたい…

 

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20180321

 

もう3月21日になってしまった‼︎

私の家はマンションの4階にあるので、ずっと家にいると地球で生きてる感じがしないということに気がつきました。

1階と2階がつながっているメゾネットタイプの家 住みたい。

グラン・トリノクリント・イーストウッド/2008 と『モアナと伝説の海』2016と『秀子の車掌さん』成瀬巳喜男/1941 と『イップマン・序章』ウィルソン・イップ/2008 と『2/デュオ』諏訪敦彦/1997みた。(『月世界旅行』と『工場の出口』もみた)

諏訪敦彦初めてみたけど面白かった。即興演出が主とは知らず台詞の置き方がすごすぎると思って見てた。サックスの曲がかっこよかった。

流石にみすぎだったな、情報過多で混乱してしまった。

このところはもうめんどくさいからはやく大人になりたい。内容の問題ではなく外への接触の仕方に問題があるだけだという確信が付いてきたので、あとは何度もやってなじむしかない。

でも本当はこんなこととかはどうでも良い。でも今はもう疲れたので寝る。

 

 

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20180317

 

さっき、本当に穏やかな波のなかで自分にはなんにもないなーと棒読みの気持ちで思っていたけど、やっぱり焦燥感はそんなに生まれてこなかった。私が求めているコミュニケーションは、どうやら気軽な日常会話の中で叶うようなものではないらしいということがやっとわかってきた。みんながなんとなく共有しているらしい社会の枠組みをだいたいここだろうという場所に措定するのに時間がかかりすぎてそういうことをわかるのがいつも遅い。映画は、芸術とかそういうこと以前に、私が求めてることをするのに一番手っ取り早い方法に思える。でもほんとはそんなシンプルなことじゃないんだろうとも思う。

 

本物の美人には、なぜか深刻な闇の気配がしていて、綺麗な歯並びで笑顔でしゃべっているときにも他人をよせつけないような影が落ちてしまっているということがたまにある。屈折してるとか捻くれてるということではなくて、とにかく誰も近づいてこないでくれと疲れながらもしくは心底冷めながらじっとしながら願ってる感じ。前はただ私に全然興味ないだけなのかなと思ってたけどそういうわけでもないみたいだと最近思いはじめた。でもわけが知りたいと強く思わせるような暗さじゃないので興味はわかない。

超・無理してます!って顔に貼ってあるようなテンションで明るく話してくる人に昨日会ったけど嫌だった。その人を誇張したものまねがあったら大きい声で「嘘なんですけどねーーー!!!」って何回も叫んでる感じになると思う。誰も幸せになってないことに早く気づいてほしい。

 

『ムーンライト』の感想で、人間の本質的な救済はそんな浅瀬にないだろうが、というのを見た。私もそう思った。んだけど、その浅さしかありえなかったことの悲しみということにまで話が及んでる可能性も少しだけあるかもしれないと思う。元気だと言っておいて空元気なのかな?と思わせたり、結局どっちでもありえるなと思わせられる作者は色気があるなと思う。

 

焼肉食べたいなー

 

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20170310

 

今日は頼まれたのでバイトに行ったらCD-Rに曲をえんえんと入れるだけの作業をさせられた。 そのための機械とかないんだ。

きれいで大きい箱みたいな建物で、高い場所にあるのにほぼ全部の窓は遮光カーテンが降りてて、常識人のおじさんが"気の利いた"冗談を後輩に言ってる。

できればこういった光景と無関係の場所で生活したいのにな、どうせ死ぬだけだし 

 

"やっぱり人間も生物としては、中でどんなに羽ばたけても鳥カゴの中では暮らしたくない。"って今読んでる対談の中で隈研吾が言ってるけど本当に単純にそうだと思う。 "囲い込まれた場所で次のふるまいがすでに演出されてしまっているように感じる"のですぐに帰りたくなってしまう、とも

コルビジェ風の建物は地中海の太陽の光の破壊力と塩分ではじめてわかるのであって、日本で風化しないように頑丈にきっちりとつくってしまうのは気持ち悪くなってしまう というのもなんとなくわかると思った。地中海行ったことないけど でも六本木ヒルズとかおしゃれっぽい高層ビルとかああいうのが正しいわけあってほしくない というのは直感的にある。

あと全部ガラス張りにすればおしゃれだと思ってるのは本当に思考停止が過ぎるんじゃないか バイト行く道に最近できた新しい大学の校舎も本当にただガラス張りなだけで、とおるたび見てて悲しくなります。でもそういうどうでも良い悲しみはどんどんやめていきたいと思います。

 

昨日『ネオン・デーモン』(ニコラス・ウィンディング・レフン 2016 アメリカ/フランス) を観たけど結構面白かった 引きの画でナイフがすごく光っているのとか。遅いカメラでも全然鈍くないし室内の移動カメラのサスペンスにかなりドキドキしたりした。嘘の月が強くクッキリと輝いていたのもよかった。ストーリーは別にどうでもよかった。エルファニングより小松菜奈のほうが可愛いと思う。

読モとかアイドルとか、面と向かって話すと時が止まったような気持ちになるのが不思議だったけど、アメリカのトップモデルや業界人ともなるとこんなに止まってるのか‼︎と思ってテンション上がりました。

 

『ムーンライト』は本当に意味わかりませんでした。そのせいで『シェイプ・オブ・ウォーター』も見に行く気が全くなくなってしまいました。

 

平屋に住んでみたい。

 

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