20211018

急に寒い

最近は各友達から話通じないと思われてそうな感じがする 通じたい話が通じないのかなと思う ごめんと思うけどどうすることもできない

フィルムカメラがほしい 生きようとしなければならないと知ってからそんなことを思うようになってしまった 悲しい

tiktok最近よく見てて面白い 無数にチャンネルがあるテレビをザッピングし続けてるのと同じだ 文章と動画と音楽がいろんなフォームで存在してる IUの夢色パティシエールは本当にすごい曲だ

 

『DUNE 砂の惑星』2020 ドゥニ・ヴィルヌーブ

『ムーンライト』見た時何も起きてない映画だなと思って全然つまらないと思ってたんだけど、あの映画が志向してたのはこういう映像だったのかとわかった

ショットが美しいかというと全くそう思わなくて、むしろ私が今考えている基準からは限りなく遠い でもこういう映像が美しいと言いたくなる気持ちがわかった ゲームみたいな映画 緊張感とか静と動がカットの割り方やショットを通じて伝わってくることは一度もない ヒーリングのための映像なんだと思った だからこそショットは冗長であるべきだし 退屈のあり方が癒しになるんだろうと思った 身一つで放り出された砂漠が永遠のように続いていくであろうことの現実的な恐ろしさよりも、 それがただ続いていて終わりが見えないことの希望のほうが勝っている感じ 

ゴジラvsキングコング』も同じだったけど死に対する恐怖を劇中の登場人物が持たなさすぎる、ヘリコプターみたいなのを操縦しながらもう絶対助からないような状況に巻き込まれてる時の顔に焦りがなさすぎる 人が死ぬということの心底の恐ろしさが顔を出す瞬間が一度もない 映画の中の人は実際に生きてるわけではないという前提になっているのかもしれない

ゲームの中でアバターが死んでも当然現実の自分は死なないし 仮に死んだとしてもまた何事もなかったかのように定位置にパッと生き返るのだから 砂漠が生きていけない場所であることは何も恐ろしくない

そしてそれがまさにkwangyaという場所なのだということが理解できました

 

例えば18歳から死ぬまでずっと同じゲームをやり続けて現実で楽しいことが一度もなくてもゲームで楽しいことがたくさんあったらその人の人生は楽しかったと言える これはやはりオープンワールドのゲームができてから現実味を帯びてきた発想な気がする

ゲームに興味なくてこれまで全く触れてこなかったけどこういうことに対する研究はこの世にたくさんあるだろうから何か読みたいな

 

kwangyaでsavageでいることが現実の自分にとってどんな意味を持つのか、なんてもはや考える必要がないことかのように思えるけど、それは確実にそうではないとも思う 孤独について考えることにも近づいていく気がする