もう4月。
夜は寒いのであまり気分は上がらない。
一昨日『レディ・プレイヤー1』2018 スティーヴン・スピルバーグ を観た。今の時代にお金を惜しまずに作るCGはかなりすごいということがわかった。胸アツ展開が次々に起きて気づいたら終わってた。"現実だけが本当のリアル"であることは、やっぱり何度考えても、どうしても逃げられないことなんだということを伝えたかったのか。
授業でみた『カップルズ』1996 エドワード・ヤン も本当に良かった。最高のキス ここでもない、でもどこでもない場所にあるキスだった。たとえ生き残れたのが1人だったと考えても、ほかのやつらもみんないいやつだった。映画の中の死は、現実の死とは、全然全然全然全然違うものだ
今日は天気が良すぎる。
昔は自分の中にしか、もしくは家族と自分の中にしか本当のことはなくて、すべてはだいたいちょうどいい距離でガラスの外側にあった。自分が、眺めているだけであることにフラストレーションを感じたことは一度もなく、ただ誰かもまた私を眺めるしかないということにむしろ心地良い感触を持っていた。でも、目を合わせてくれない人たちにはいつも少しだけ怒っていた。今になって、それはわりとよく普及しているコミュニケーションの方法だということを知った。私はただ素直に喋っているだけだった。家に帰ったらご飯を食べて雑誌を読んでから寝た。
つまり、今も何も悲しむことなんてないはずだということを私は信じ込もうとしていた。
泣いても叫んでも変わらないことをどうにかしようとは思えない。でもだから、悲しむことなんてないはずだと私は信じていた。
本当は何も知らなかったほうがよかったはずだなんて思うのは臆病だと思った。でもそれでいてそれらすべてを慈しむような態度にはとうていたどり着けそうにない。
でもきっとただ戸惑ってるだけだよ。