20180326

 

やっぱり頭混乱してるけど、混乱してるだけでは本当になんにもならないから、動をうまく静にドライブしていかないとなんにも始まっていかないという部分があること、それをコアに持っていないと毎日意識がある意味がない。

 

昨日早稲田どらま館でロロ『いつだって窓際でぼくたち』を見た。町の花火を待つ高校の教室なんて演劇でも見ないともう行けない場所。学校なんて意味のない箱で過ごしていたこと、偶然同じ時にその中にいるなんてたまたま同じ町を歩いてるのと同じようなことだから、実質まったく関係のない人と同じ日に同じ場所にとどまって花火のカケラを見つめるなんて奇跡みたいな話だ。いつ高みるのは3回目だけど、誰がどんな人でも誰も否定しない、ほんとにユートピアみたいな世界だなといつも思う。現実では、同じ学校に通ってるってだけであんなに壁なく会話できるなんてわけがない。でも本当は誰とでもあんな風にコミュニケーションしたい。

カケラからするあてもない妄想を誰かと共有できるってそんなに素晴らしい時間はないでしょう。なんのためにとかそんなことあるわけないよとか誰も言わないんだよ。"群青"はあの日の夜、どうしようもなく嬉しい気持ちで布団に入るだろうなと思った。

 

春の夜に飛び交う細かいカプセルが喉から鼻に突き抜けるのが阻止できなくて、小さな暗い海で波が押したり引いたりするのを見ていることしかできなくて、その中でいつ高みたら気持ちが本当にピュアになってしまった。演劇のしくみ自体に尊さ感じて無性にありがたかった。

 

いまはゆるふわギャングを聞いてる。私もはやくゆるふわギャングになりたい…

 

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